最近は、医者気嫌いになる情報ばかり選んでしまうせいで本当に医者嫌いになっています。
知人が、「出血があって、ガンの疑いがあるんだ。」などと言うと、間髪入れず「手術はやめなよ」という言葉が出てしまいます。
本人は医者にかかっていて、決断も迫られる心細いときに、そんなこともおかまいなしに反射的にきつい言葉が出てしまいます。
でも、その心底には、本当に手術などしたらあぶないんだという気持ちがあって、心から心配していることに変わりはないのだと思ってしまいます。

病は気からという内容の本を、若いころに読んだことがあって、心身症とかの言葉が流行る前だったような。 記憶に無い遠い昔です。 リウマチなどの体の変形も心因性であるなどといったことが書いてあったような気がします。
そんなときに、母の友人などが家に来ていて、体のことを言っています。
「あそこも、ここも痛くて」、などと言っているときに、「それは精神的なものだ」という言葉が、思わず出ました。
すると、そのおばさんはすごい剣幕で、「私は医者に○○病だと言われて、治療しているの。」 などと怒鳴りました。

そりゃー素人のいうことより、医者の言葉を信ずるのはあたりまえだと思ったことがあります。
そんな医者や、薬を信じなくなったのは、ある意味裏切られる経験をしてきた積み重ねだと思います。
だから、徐々に体験して、服薬の経験も積み納得しつつ、信頼が消えたわけです。
そういう意味では、自分の体や心に素直なのだと思います。

先日のテレビ番組で、左右の腕の血圧が10-15違ったら動脈硬化が進んでいるかもしれないので病院へ。などと言っています。
おいおいと思わず口に出てしまいます。

左右の腕を同時に計って、差があるならまだしも、一台の血圧計で、他方の腕を計れば、時間的に遅くなり、そのときは脈拍も変化していて、もう誤差が出てあたりまえ。
だいいち、一台の血圧計で連続して何度計っても、同じ値になるほうが少ないと思います。(体験的な意見)
だからもう、こんな基準は、完全に病気を作りたい、検査させて欲しいという姿勢に見えてしまいます。 つまり生活のために患者がほしい。

そう見えてしまうのは悲しいことですが。

思うに、医師の国家試験に倫理や性格、思想などをもう少し多く厳密に入れて難かしくして、合格者を減らしてはどうかと思います。 そして、人間性を加味した難しい試験の合格者は好待遇の国家公務員として処遇します。
つまり、医師になれば、裁判長のように報酬を多くして、生活を保障する。
すると医は算術医ではなく、本当に患者を診る仁術医になるという期待です。
そういう医者なら、たとえば左右の血圧のわずかな差などを主張しても、「何をばかなハッハッハ」と追い返してしまいます。
その方が、はるかに国家の医療費が減るし、健康にもなると思います。

公務員ですから、医者の偏在も防げます。

仁術医が、本当に治療が必要だと判断したら、処方箋は「温泉療養1ヶ月。ブランド牛1kgを消費すること。」とかになり、仁術保険で支払われます。 従業員がこの処方箋を提出すれば、会社は拒否できず、従わなければ労働医療法違反で処罰されます。

という妄想が浮かびました。

 


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